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貧富の差は倫理的にしか批判できない対象なのか?

24 名前:名無し向く侍 投稿日:2001/11/12(Mon) 17:32

>>07すりらんかさん
ライフサイクル仮説への反論スレ、どこですか?みつからん。
25 名前:すりらんか 投稿日:2001/11/12(Mon) 21:14

>>24さん
http://www22.big.or.jp/~15ch/readres.cgi?bo=economy&vi=0359&rr=134&fi=no
です.
26 名前:24 投稿日:2001/11/12(Mon) 22:02

多謝
27 名前:七子 投稿日:2001/11/13(Tue) 22:20

>>23
質問に答えるにはいくつか準備立てをしなければなりません。

まず、財産権に関しては二つの考え方があります。
A ロック、アダム・スミス的な「ブルジョワジィ的な財産観」
B ルソー、マルクス的な「社会主義的財産観」
です。
Aは財産権の自然権的な性質を強調して、各人はその所有する生産手段が生産するものを当然に享受できると言うものです。
Bが財産権が自然権あることを否定して一般意思の表明として法律の財産秩序の再編を目指すものです。

この時点で、Aの説を貫けば相続を例にとれば財産はあくまで被相続人のもの。
死者のものです。
よって、生前に自分の死後どのような財産の処分をするかは決定することが出来、それが絶対という結論になります。相続人には何の権利もありません。死者が財産を処分した場合の反射的利益として財産を得ることがあるだけです。
Bの説を貫けば、みんなで立法によって財産権について自由に決めることが出来るのでどうなるかは立法次第です。
子供の権利とすれば子供もの、国家のものとすれば国家のものです。
28 名前:七子 投稿日:2001/11/13(Tue) 22:44

ただし、これと関連して<平等>が重要な問題となってきます。

アリストテレス以来平等の概念は二つに分けるのが主流です。
1 数の平等(形式的平等)
2 真価に応じた配分的な平等(実質的平等)

2は常に法や政治に難問を突きつけ続けたものですが、これについても大きく二つの異なる概念があります。

 ー由尊重主義的な平等観
◆仝利主義的な平等観

,蝋餡箸個人の営みの中で取得したものを自然権として保障したときに、その国家は個人を平等に扱ったとみることです。(機会の平等の強調)
△蝋餡箸各人の幸福や成功を同じ方法で計算しつつ、最大の平均的福祉を実現しなければならないとする見解です。(福祉の平等を強調)

ここで議論を整理すれば、財産権についてAの立場をとったとしても平等観について△卜場をとれば、例えば、ケインズ政策も再分配も可能ということになります。
相続で言えば、原則は被相続人の意思によって決まるが、例外的に子供の権利を法律で保障することも可能ということでしょう。
29 名前:七子 投稿日:2001/11/13(Tue) 23:34

しかし、△浪晋里修里茲Δ癖薪観を採用しなければならないのかと言う根拠に欠けます。
そして、自由と平等が対立するという深刻な問題が生じます。

ですが、私のような財産権をA、平等観を,噺る人間にも難問が生じます。

一つ目が伝統的に言われている<不平等の起源>です。
1に家族、2に相続、3に教育です。
人間に<機会の平等>さえ保障すればその<真価>に応じた結果が導き出される。
それが,鬚箸觝拠であるならば、良き家族に生まれた人間とそうでない人間には初期条件に差がありすぎるのでないか、親からの遺産によって差がありすぎるのではないか、教育によって差がありすぎるのでないかという批判が常にあります。
さらに、この家族、相続、教育は恵まれている者は全てが恵まれ、恵まれない者は全て恵まれていない傾向があるのでこれを是正することは=<条件の平等>を保障することが、<真の機会の平等>につながるのでないかと言う批判です。

ここで日本の憲法学の通説を語れば、財産権についてはA(しかし、Bも実は有力)平等観は,鉢△里△い里海澆燭い覆發痢△つ、機会の平等は<条件の平等>によって是正し、実質的平等を保障するべきといったところでしょう。
30 名前:七子 投稿日:2001/11/14(Wed) 00:18

以上を前提にして、すりらんかさんの質問に答えれば、被相続人の意思から離れた財産は法的には「どうなったって良い」と言ったところでしょうか。
本人が子孫に残す、愛人に残す、寄付すると意思表示をすれば(遺言を残せば)それが絶対ですが、それをしないなら法的には財産はどうなったって良いことになります。
ただ、意思表示をしない時は子孫に残すことを欲すであろうことを推定して遺族で分配します。(民法900条)

また、>>7>>8の見解は通説的な見解と親和的なものと言えると思います。

ただ、私の本当の問題意識としてもっているは、逆にケインズ政策を<自由主義思想>を乗越えて根拠づけられないかという点です。
しかも、自由主義思想が拠って立つ経験知的な方法で。
31 名前:名無し向く侍 投稿日:2001/11/14(Wed) 00:51

>> to 10
Sorry to write in English. As far as I know, Alesina & Rodrik (1994),
Distributive Politics and Economics Growth, in Quarterly Journal of Economics
Vol.108, pp.465-490. deserves mentioning.
It is an empirical evidence on relationship between inequality and growth.
They regressed growth against variety of independent variables including Gini
coefficient in 1960 and Gini for land. Both of these, particularly land
inequality are highly significant. Variable capturing democracy has little effect.
32 名前:すりらんか 投稿日:2001/11/14(Wed) 00:59

>この時点で、Aの説を貫けば相続を例にとれば財産はあくまで被相続人のもの。
>死者のものです。よって、生前に自分の死後どのような財産の処分をするかは
>決定することが出来、それが絶対という結論になります
繰り返しになりますが,経済学の立場で個人の(財産処分に関する)意志を否定するのは
かなり少数派でしょう.むしろ問題となるのは「故人の遺志とは関係ないのに制度として
相続が行われてしまう」場合です.不確実な寿命下での資産処分配分,資産残高の制約,
(戦略的には動機ではあるのですが)戦略的遺産動機のケースが問題になると思います.

>>31さん
さっそく参考にしてみます.週末にでも眺めてコメントします.
33 名前:名無し向く侍 投稿日:2001/11/14(Wed) 01:00

And also, Li, H, L. Squire and H.-F. Zou (1998),
Explaining International and Intertemporal
Variations in Income Inequality,
in Economic Journal, Vol.108, pp.26-43
is very good. Their findings are very similar to those of Alesina and Rodrik.
So, the negative relationship between initial inequality and growth is
empirically robust. The problem is that it is not clear exactly what is driving it!
34 名前:Gerard 投稿日:2001/11/14(Wed) 09:20

さしあたってまずはパレート改善的な所得再分配の可能性を考えよう、
ということでしょうね。議論の流れからすると。
動学にして外部性をいれるとそういう可能性はぼこぼこ出てくる。
現にマクロでそういう研究は多いようですし。


( 役に立った! | 元スレ )
35 名前:名無し向く侍 投稿日:2001/11/14(Wed) 11:29

>30
ケインズはホブソンやホブハウスと並ぶ新自由主義(ニューリベラリズム)なのだが。
36 名前:七子 投稿日:2001/11/14(Wed) 23:43

>>35
旧とニューのリベラリズムの違いを教えて下さい。
37 名前:名無し向く侍 投稿日:2001/11/15(Thu) 02:07

相続した人間は、資産の運用がわかっていないので受け継いだ資産を上手に転がしていけば
濡れ手に泡なのに、元手を食いつぶし、散財し、足りずに、借金、さらに、自己破産へと進
む人が結構多い
38 名前:名無し向く侍 投稿日:2001/11/15(Thu) 02:43

>A.Sen、J.Roemer、鈴村興太郎ら(勿論、他にも色々と関連する学者はいますが

ローマーは分析的マルクス主義者として紹介されてますが、もうこういう仕事は
やめて厚生経済学にいってしまったのですか?
ローマーの仕事は経済学の主流派にも評価されているのですか?
39 名前:名無し向く侍 投稿日:2001/11/15(Thu) 02:55

>>38
ローマ?って主流派でしょ。公平分割(proportion solutionや公理的特徴付け)、経済的な
環境における公理的交渉理論、Political Competition(最近Econometricaに載ったやつと
か確か今年それにまつわる本が出てたハズ)などなど色々。載ってるとこもEconometrica、
QJE、JETなんかだし。分析的マルクス経済学は彼の仕事のほんの一部分だよ。最近はやって
ないとおもうけど。
40 名前:38 投稿日:2001/11/16(Fri) 04:08

ローマーって主流派なんですか?
彼って中学の数学教師しながら組合運動してた経歴の人ですよね。
学者としてはかなり異端の人だとおもってましたが、主流派入りしたのか主流派も無視できない
のかとにかくユニークな人だとおもう。
41 名前:名無し向く侍 投稿日:2001/11/19(Mon) 20:59

朝日選書687
「飢餓と戦争の戦国を行く」
藤木久志

日本中世の飢餓についての本。おもろいよ。
経済学者の cool head で検討してみて。
42 名前:名無し向く侍 投稿日:2001/11/20(Tue) 18:03

>>41
興味深かったのは、応仁の乱に先立つ時代、京都周辺の村は、
京に食料や物資を供給するプランテーションとして、
モノカルチャーを強制されていた。したがって飢饉の時には、
生産地が先に飢えたのだ。という仮説とか、
「年の辛いとき、有徳の人、造作を流行らする」
という言い回しを引き合いに出して、飢饉時に行われた
公共事業について語ったりしているところかな。
43 名前:名無し向く侍 投稿日:2001/11/20(Tue) 18:19

41=42 です。
44 名前:名無しさんの秋 投稿日:2002/11/04(Mon) 09:14

消費性向の高い層にお金をばらまけば全体としての消費が増える・・で問題あるの?





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