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ポストケインジアンについて

811 名前:すりらんか 投稿日:2002/07/05(Fri) 20:35

これを裏付ける理論的なフレームを聞きたいという趣旨
>>580への一連のレス>>590-594あたりと>>610-612周辺が氏のモデル
ではないけど近い話をしています.
812 名前:毒虫五郎 投稿日:2002/07/05(Fri) 21:46

ザモデル氏の「ザモデル」ではなく、共通のザモデルで政策議論をしたいのですか。それはどういう意味なんでしょ? 共通言語であるならば、おおざっぱにいえば(誰のでもいいけど)『マクロ経済学』(あるいは『ミクロ経済学』)の教科書程度の知識でも十分に政策論議につかえそうです。「論議」ですからね。その程度の共通ルールを設定すれば十分じゃないのでしょうか?でも811に示されたものをみると、AERの特定の論文とか清滝氏らのモデルとかかなり特定のモデルが考えられていますね。しかもミクロ計量分析もやろうとしてる? すごいなあ。
AERの論文は明日にでもオフィスに行かないとわかりませんが、そのモデルをもとに政策議論を深めようというわけではないんですか? それはそれで非常に有意義です。
で、みなさんは1 教科書程度での共通言語で政策論議をやる 2 もっと高度なくだんのAER論文とか清滝的モデルなど特定のヴァリアントを想定して論議するのか、どちらなんでしょ?。もし2とすれば、ザモデル氏に「教示」(あなたのザモデルを教示しろ、などと不遜なこと)は要求せず、とりあえず清滝モデルでも前提にしていけるところまで政策論議すればいいだけではないんでしょうか?
最近流れてきたんで、何が話題かよくわからないのでちょっと当惑。
813 名前:毒虫五郎 投稿日:2002/07/05(Fri) 21:55

すりらんか氏、すみませんが、明日まで気になって眠れません。AER(87号#5)ってどなたの論文でしょうか?
814 名前:くろき げん 投稿日:2002/07/05(Fri) 22:42

例によって話が進むのが速過ぎてついて行ってないです。もうすでに終わった話になっているかもしれないですが、せっかく書いたのでまとめて出します。5連発で申し訳ない。

すりらんかさん (>>736 >>740)、ザモデルさん (>>751)、 "universality" に関する説明が足りなくて申し訳ありません。

ドラエモンさん (>>741) は "universality" の意味をほぼ完壁に理解しているように見える。より正確に言えば、私は、ドラエモンさんの流儀と、 "universality" という物理学者がよく使う考え方が関連していることを指摘したに過ぎない。

すりらんかさんの「くろき氏の言う universality の高いパッチワーク」 (>>736 >>740) という言い方は私の発言中の "universality" の意味を正しくとらえてないのですが、他の発言を見ると私が強調したいと感じているポイントをすりらんかさんはわかっているのは間違いない。これもまた、より正確に言えば、すりらんかさんがわかり切っていることに私が部外者からちょっとだけ別の言葉を付け加えただけだ。

おそらく、科学畑の人たちの多くには、複雑な経済の世界においても普遍性を持って成立していることが十分確からしい法則があることを強調した発言 (たとえばドラエモンさんの「ドマクロ」的発言 >>741) は興味深いと思う。

それとは対照的に、数学的モデルが universality を持っていることは極めてまれだということを知っている人たちにとって、ザモデル氏の態度はおそろしく非科学的に見えることになる。

学術雑誌に論文がアクセプトされるための基準と科学的信頼性を確保するための基準をザモデル氏は混同しているように見えて仕方がない。いちごびびえす移転後はかなり穏健になったようですが、まだかなりずれているように見える。

つづく。
815 名前:くろき げん 投稿日:2002/07/05(Fri) 22:43

つづき。

さて、ザモデルさんの >>751 はもろにトンチンカンな発言で、 "universality" という言葉を完全に誤解しています。

私自身の説明の仕方の悪さや、すりらんかさんの「くろき氏の言う universality の高いパッチワーク」 (>>736 >>740) というちょっと誤解を招く言い方に、ザモデルさんは mislead されてしまったのかもしれませんね。

私は "universality" と "patchwork" の関係は以下のようなものだと考えています。

1. 数学的モデルを立てるときには universality の要請が決定的に重要である。 universality を持たないモデルに頼っても科学的に信頼できる予測はできない。しかし、 universality を持つモデルを得ることはおそろしく難しく、滅多に得られるものではない。

2. Universality を持つ包括的なモデルが得られてない場合には、 universality が十分高いと考えられる部分的なモデルや歴史的な経験などの様々な視点を総合した patchwork 的な議論を行なうことが必要になる。良質な patchwork は大きな間違いを犯すリスクを減らすことになる。

つづく。
816 名前:くろき げん 投稿日:2002/07/05(Fri) 22:44

つづき。

Micro foundation の要請は科学的にはより重要な universality の要請とは直接には無関係なので注意深く扱う必要があります。パッチワークの一部に「ザモデル」が効果的に含まれていることは好ましいことだと思いますが、「ザモデル」がパッチワーックの一部になっていることは必要でも十分でもない。

もちろん、普遍性を持った頑健で信頼できるモデルが存在するなら、それを利用しない手はないと思いますが、実際には全然そうじゃないわけですよね。だから絶対にパッチワークが必要。良質なパッチワークを目指してない議論はどれも信用できない。

ドラエモンさんの過去の発言で印象的なのは「経済学のどの部分の universality (もしくは robustness) が高そうに見えるか」に関する話を好んでしていることだと思う。実は他のコテハン諸氏もその手の発言がかなり多い。そういうスタイルは、科学的な観点から経済学に興味を持とうとしている人にとっては教科書や学術論文の説明よりわかり易い場合があると思う。

経済学に限らず、学術雑誌に論文がアクセプトされるための要請と科学的な厳密性の観点からの要請がずれていることに関して専門家は常に注意深くあらねばならないと思います。

つづく。
817 名前:くろき げん 投稿日:2002/07/05(Fri) 22:45

つづき。

以下に並べたの以上に関連している私の過去の発言へのリンクです。以上の発言で私は "universality" という言葉を通常とは異なる意味で使っているのですが、その説明をサボってしまいましたが、その点に関しては以下を読んで補足して下さい。経済学の話からちょっと離れてしまうことを許して頂けるのであれば別に説明を追加するかもしれません。

http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0143&rs=913&re=914&fi=no
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0290&rr=480&fi=no
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0290&rs=507&re=511&fi=no
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0517&rr=343&fi=no
http://matari.ichigobbs.com/cgi/readres.cgi?bo=economy&vi=0517&rs=345&re=346&fi=no

つづく。
818 名前:くろき げん 投稿日:2002/07/05(Fri) 22:48

つづき。

実はザモデル氏による「ザモデル」に関する解説は面白そうだと感じています。ザモデル氏がもしもパッチワーク的な議論に対する不当な非難を止めて、「ザモデル」の面白さや重要性について楽しい説明をしてくれるなら、私は本心から嬉しく思います。ザモデル氏自身も自分の話は面白いはずだと思っていているわけですよね。きっとそれは正しいと思いますが、話の見せ方に失敗しているのだと思う。

あと、せっかくだから小林慶一郎氏に対する爆撃はもっとやって欲しいです。可能ならば real world でも直接爆撃して頂けたら嬉しい。

不良債権処理を伴うハードランディングをなんとか正当化しようとする動きは恐ろしいと思う。もしかしたらザモデルさんはそういう日本の事情に疎いのかもしれませんが、「30社リスト」問題や「11社リスト」問題が話題になったときには、そのような動きは誰にとって都合の良い動きなのか何となくわかったような感じがしました。「まともなマクロ経済政策云々」以前のレベルでやばそうな話があり過ぎ。

以上。

出遅れたせいで以上のような文章になってしまいました。申し訳ない。
819 名前:くろき げん 投稿日:2002/07/05(Fri) 22:54

>>813

Charles T. Carlstrom and Timothy S. Fuerst, Agency costs, net worth, and business fluctuations: A computable general equilibrium analysis, The American Economic Review, Volume 87, Issue 5 (Dec., 1997), 893-910
820 名前:毒虫五郎 投稿日:2002/07/05(Fri) 23:14

あんまり書き込みたくないんだが、くろきげん氏の発言は興味深い。
でもその前に埋没しそうなので812が重要な議論開始のポイントであるように思えるので再度強調したい。
<学術雑誌に論文がアクセプトされるための基準と科学的信頼性を確保するための基準をザモデル氏は混同しているように見えて仕方がない。>、横レスだが、それはザモデル氏に気の毒だ。またたとえそう考えていても別段、政策議論には関係ない。

銅鑼氏が直近でまとめたザモデル氏の政策議論観を読むかぎり、彼はきわめて慎重で実践的な政策議論のスタンスを模索しているようだ。パッチワークとuniversityのつかいわけも彼なりにきちんと腑分けしているという印象をもつ。しかもこのパッチワーク云々もあまりそれ自体は意味がない。彼の登場した当初にもっとも具体的(パッチワーク的ともいえる→経営者にきびしくする等はパッチにしかすぎない)なところに、彼の政策上の価値判断もそれなりに出ている。それで十分であり、不要にパッチワークとuniversityの議論をかれにせまるのは話を混乱させるだけだ。
だが818の発言の前半は賛成。私の812も似たような趣旨かもしれない。

ただなぜそんなに小林慶一郎を非難するのか? わからない。理由を書いてほしい。
821 名前:毒虫五郎 投稿日:2002/07/05(Fri) 23:16

文句?をいったうえで、教えていただき、きまりわるし>くろきげん氏。これで眠れる。


( 役に立った! | 元スレ )
822 名前:ザモデル 投稿日:2002/07/06(Sat) 01:20

>>798
私が個人的に考えている特定のザモデルについての質問のようなので、
それは時期をみて答えられるものは答えるつもり。ただ、何度も言うが
私は自分の考えを主張・解説しに来たのではない。

私としては、「有効需要の原理」という政策分析に不可欠なファクターに
ついてのコンセンサスが形勢されるのを待ちたい。
でないと、いづれまた堂堂巡りの論戦になると思われるので。
とにかくルーカス批判を回避出来る有効需要の原理の解釈無しで
先に進みたくない。
823 名前:ザモデル 投稿日:2002/07/06(Sat) 01:29

>>798
政府投資の件だけ少し言及したい。
公共「投資」が「効く」理由を考えるのは当然、難しくない。
問題は、いわゆる「有効需要の原理」的な。政府「消費」が家計消費
(もちろんGDPも)を増やすメカニズムとが存在するか、という
問いかけをしている。

あるのならば、いかに土建屋バラマキ公共工事政策が非効率であろうとも、
景気を下支えできるはずだ。しかし、90年代はどれほど効いていたのかに疑問符がつく。
まず、この現象に答えようとといのが目的なので、
非常に効率がいい(生産性の高い公共資本蓄積)は、考える意味がないだろう。
リカーディアン(恒常所得)と政府消費拡大による景気対策というのは、
完全に矛盾する。これをどうreconcileするかという問いだと言ってもいい。
824 名前:ザモデル 投稿日:2002/07/06(Sat) 01:37

>>くろき氏
universalityの定義の件についての氏の議論は、残念ながら何の意味もない。
私が勘違いしているかどうかも議論する意味がない。

私はくろき氏がルーカス批判を理解していないと思う。

経済政策を議論するには、ルーカス批判を克服する必要があり、
その一点で、ザモデルでないものは使うわけにはいかない。
データとの合致性が政策の論拠にならない理由、あるいは工学や物理の
モデリングの考え方が経済「政策」に敷衍できない理由をくろき氏は
説明できるだろうか。
825 名前:ザモデル 投稿日:2002/07/06(Sat) 01:42

>>800
気持ちは分かる。
ルーカス批判をある意味逆手にとったその主張は、potentially
正しい可能性はあると思う。
が、そういうことをconsistentに説明できるザモデルはないのだ、
というのも、new islmがダメな理由とともに既に合意済み。

我々は今、同じ出発点に立ったらしい。
826 名前:毒虫五郎 投稿日:2002/07/06(Sat) 06:25

新参で784、785のまとめだけ読んだので誤解をしていたようです。早寝した成果か、早朝三十分でいままでの議論をざっと拝読しました。825のザモデル氏のように「我々は今、同じ出発点に立った」のは確かにしても、銅鑼氏とは出発点にたつやいなややはり異なる方向に行っているのではないでしょうか? Krugmanの最初のモデル(new islm型のもの)では問題があるという点では銅鑼氏とザモデル氏は理由が異なるものの一致(この意味での出発点の一致)がありますが、ことリフレ政策について絞れば、銅鑼氏の方は教科書的なislmを修正した『恐慌の罠』とかに散見されるモデルでの議論を採用しているようです。で、銅鑼氏の主張はおなじみなので、私の関心はこの膨大な過去スレから読み取れたザモデル氏の思索の方向です。
有効需要の原理を所得の再分配とみなす考えをとれば(その観点に賛成というわけではなく一応それにのって議論するという意味です)、確かに格段マネーを明示的に導入しなくとも、リフレ政策は適当に藁正当化できますね(というかリフレ政策に肯定であれ批判であれ過度な重心をおくとザモデル氏の議論がつかめなくなるね)。ザモデル的な観点のベースにあるゲーム論的な枠組みも違和感はないです。スレの初期ででてきた協調の失敗を打開するためにも「包括パッケージ」が必要だというのもある程度はわかります。すでにザモデル氏の「包括パッケージ」の理論的基礎は過去スレでかなり提供されているように思えます。
827 名前:毒虫五郎 投稿日:2002/07/06(Sat) 06:26

そのうえでちょっと卑俗な話題からザモデル氏だけでなく皆さんにもお聞きしたいのは、この「包括パッケージ」で非効率的な主体から効率的な主体に資源が再配分されるといいきれるのでしょうか? 異質な民間の主体の資源配分に直接に政府が手をつっこんで調整をはかる政策だと思うのですが、果たして非効率的な主体と効率的な主体とを選別するのはそんなに簡単なことでしょうか。協調の失敗があるからといって、ザモデル氏のいうような「包括的な政策パッケージ」で積極的かつ一気?に政府介入を行うための正当化にはまだ説明を補う必要があるのではないでしょうか?
そういうプリミティブな疑問があるのですが、どうやら読んだことがない清滝氏の一連の論文が一層の議論の役にはたちそうですね。>すりらんか氏、そちらの不景気(失礼)な新スレで清滝論文の読書会をもちませんか? わたしは指数論が専門?なのでとんちんかんな質問をするかもしれませんが。(ちなみに専門の話題がふられても沈黙します。正体ばれるのは嫌なので)
828 名前:俺の名無しさん 投稿日:2002/07/06(Sat) 06:53

一晩のうちに結構いい展開してますね。
これは毒虫五郎氏の貢献が大きい気がするが、
ただ、相変わらず、ザモデル氏・すりらんか氏・プロボーラー氏
みんなよってたかって予防線張りすぎ。
すりらんか氏・プロボーラー氏なんてのは、
これまではザモデル氏と同じことやってたんだから
もうちょい素直になればいいのに。
まあ、これはキスケ氏のザモデル氏に対するコメントに帰するのだが・・・

とはいえ、このペースならもう1000も近いんだから、そろそろ本題でいいんでないんすか?
829 名前:↑ 投稿日:2002/07/06(Sat) 06:56

キスケ氏が普通の経済学的に参入することの期待レス
830 名前:俺が名無しさん 投稿日:2002/07/06(Sat) 08:10

ザモデル氏はなぜ銅鑼ちゃんにすり寄ろうとしてるんだ?
>>800にほんとに可能性があると思ってる?
831 名前:ザモデル@bkjjw@f 投稿日:2002/07/06(Sat) 09:12

世に伯楽有りて、然る後に超学説の頭脳有り。
超学説の頭脳は常に有れども、伯楽は常には有らず。

故に天才有りと雖も、ただ奴隷人の手に辱められ、
槽櫪(そうれき)の間に駢死(へんし)して、
超学説をもって称せられざるなり。

超学説の頭脳なる者は、一食に或いは粟一石を尽くす。
天才を食(やしな)う者は、其の能く千里なるを知らずして食ふなり。

この天才や、超学説の能有りと雖も、食飽かざれば、
力足らず、才の美外に見(あら)はれず。
且つ常人と等しからんと欲するも、得べからず。

いづくんぞ其の能く超学説なるを求めんや。
これを策(むち)うつに其の道をもってせず。
これを食ふに其の材を尽くさしむる能はず。
これに鳴けども其の意を通ずる能はず。

策を執りてこれに臨んで曰く、「天下に天才無し」と。
ああ、其れ真に天才無きか、其れ真に天才を知らざるか。





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